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自分の記録.*・゚

確信・核心・・・そして清らかな心へ


実は今回、とても濃い時間を過ごした。
深く深く 私が気になっていた「核心」に、何故か話は流れていった。

もちろん意図などしていない。
いつか、なにかのタイミングで知ることができたらいいとは思っていたが、今日この流れ、このタイミングで意図せず聞けるとは思いもよらなかった。

カレッジの時間が終わる頃、その話はある事をきっかけにゆるやかに始まり、そして 私たちは 話に聞き入った。
深く 濃い 時間が流れ、当たりは次第に薄暗くなっていった。



その流れを汲んでのスピリットレイキだったので、アチューメントに入る前の時間は、その話の続きのようになり、

どちらからともなく、「あの」話になった。
そうか、同じ気持ちだったんだ・・・
私の違和感は、間違ってなかったんだ。


もう、それだけでよかった。
誰かが、私と同じ感覚でいてくれた、それだけで救われたような気持ちになる。
まして、それが A〇〇さんなら、更に高まる。


誰かにわかってもらえなくて孤独を感じたことはざらにある。今では、自分がわかっていたらそれでいい、と、自分に言い聞かせる様にそう思うことにしている。
でも、やっぱり、共感理解してもらえるとわかりあえる喜び、救われる喜びはあるのだな、と 自分の感覚を客観視する。


そして、どこか心の片隅では、理解されない時というのは、自分の方がおかしいのかとさえ感じることも多々あったので、私の疑問の核心をつく答えを持った人が現れたことに、驚きは隠せなかった。


ここには、これ以上は書けない。


スピリチュアルエゴであり、どこと繋がるか であり、その危険性は誰にでも どの瞬間からでも 可能性として 潜んでいることであり、私自身も 襟を正すような気持ちで、今 ここで 気持ちを整えるきっかけとなった。




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そして、このことから、やはり私のこれまでは「これでよかった」のだと思える、そんな気持ちになり。


核心部すぎて、突っ込んで書けてないけど、そこから受け取った学びは大きかった、そういうことかもしれない。



スピリチュアルエゴは、時に 相手や周りををコントロールし始め、時に 傲慢になり、時に暴走する 危うさを秘めていると思う。


そして何よりも、どこと繋がっているのか、に尽きると思う。
謙虚で 客観視する心。これを書いていると昔、船井幸雄さんが『清貧さ』について、著書で触れていたときがあったなぁ、と思い出す。



まさに『清貧』であり、清らかな心を忘れたくないと思う。



私は、スピリチュアルエゴが暴走するような場面を 何度も 誰かに見せられてきた。だからこそ、自分に問われているのだと思う。
気持ちを引き締めて、整えていこうと 自分の意識を再確認している。