前記事で、自分のこれまでの繊細さについて少し触れました。
その補足として追記しておきたいのは、
私は幼い頃から母や先生たちに「感受性豊か」とか「繊細」とか言われて育ってきました
・・・と書きましたが、その繊細さの理由はUFOや幽霊を見たとか、金縛りに毎晩のようにあったとかそういうことではなく、生まれ持って「人との壁が薄いこと」が大いに関係していると思っています。
最初の妊娠をする前後辺りから自分の身辺にいろいろなことが起こり始め、そこから何かのスイッチがオフになったかのように不思議な体験はずいぶん減りました。
しかし、本当の大変さはそこから始まったような気もしています。
最近 面倒だと感じるのは、人の思念が自分の領域に簡単に入ってきてしまうこと。もっと言うならば、その感覚に気づいたら自分の感知する違和感が増えたことによる心的変化でした。
これは、たとえ家族だろうと起こります。家族の方が近い分厄介です。良い悪いではなく、例え大好きでも自分ではないので自分をキープするためには一人の時間は大切です。(これがなかなか難しいのが現状です)
人はみなその現象(エネルギー的な干渉をし合う状態)が起きているのですが私のようなタイプはその影響を大きく受けてしまうため無意識・無防備でいると自分を見失ってしまいかねません。
とはいえ、これは特別な事ではなく、日常みんな意識を飛ばしあって生きています。多かれ少なかれみんな影響は与え合いながら生活しているのです。ただ、自分の場合は普通の人に比べて、ちょっとだけ多めにそして容易に、他人のエネルギーが入ってきやすいのではないかなと感じています。
従って、日常生活のなかで自分をキープする意識を持って必要とそれに対して諦めずに模索して鍛錬する必要があります。そのことについて自覚してわかるようになってきたのはやはりレイキを学んでしばらく経ってからだし、前記事に書いたように必要なタイミングで必要な人にアドバイスを貰って気づき始めたのが始まりです。
まずはその視点を持って意識して、それらを観察する観察者の視点が必要になります。
思考や感情や肉体は自分ではない。
「思考を鎮めて」(瞑想)とか、「考えるな、感じろ!」(有名なブルース・リーの言葉)という言葉があるように、思考は鎮めて冷静に感じる必要があると多くの人は言います。
それはなぜか。
思考や感情は電波と同じで隣の人がイライラしている時に自分も貰ってしまうのは、近い周波数を自分が発しているから。
また、思考や感情は心臓の動きや副腎ホルモンの働きと関係しているため、脳内物質の変化に伴って思考や感情も変化します。
そして肉体も然り。血液やリンパの巡りを自分の意志でコントロールすることはできないし、心臓や臓器の動きも自分ではどうすることもできません。
それを見ている自分
その視点が本当の自分です
思考ではなく観察者の視点の自分、それこそがハイアーセルフの視点であり本当の自分です。
もしもこれを読んでいて自分にも当てはまると感じる人がいるならば、そして自分の敏感さを意識してコントロールしたいと思うならば、まずは自分自身を観察者の視点で観察してみることをおすすめします。
私は登山や渓流歩きなど人里から遠く離れた自然の中を歩くことがとても好きですが、そういった場所を歩いていて改めて思ったのは、そういう思考や感情の電波の飛ばし合いが少なくて済むからとても快適に過ごせるということ。頭ではわかっていたけれど、体験から腑に落とした感覚でわかりました。体の体感があまりにも違うのです。そして自然界の中でクリアリングできてしまう。
私にとってクリアリングは、瞑想よりも歩く方が瞑想よりも早くリアルに手応えがあります。日常生活では意識しないと1人になるのは難しいのもありますし。
誰かが自分を直接思っている電波は山にいても拾ってしまうようですが、たくさんの人の思考や感情の電波を直接拾うことは少なくて済むのも体感して。改めて人の思念のエネルギーが人に影響し合うその影響力を思いました。
自然界の植物たちは、二酸化炭素を放出して私たちを生かしてくれていますが、それだけではないんですよね。
いろんな形で私たちと連携してくれている。
電磁波を軽減したり、アロマのように香りやオイルで癒しを提供してくれたり、こうやって街中の喧騒から隔離してくれたりもする。
感謝と愛と光を惜しみなく送りたい!
共感する人はぜひ。ありがとう!と心の中で思うだけでも届きますから、できれば自然の中を歩きながらやってみてください。
もちろん、身近な植物に感謝するとか意識を合わせるなど、日頃から自由な発想でやってみるのが一番いいと思います。
話が逸れましたが、山や渓流や自分の住む街を往来する生活は妊娠する以前もあったのですが、いろいろあった以降にこうして体験するとその意味が自分なりにわかるようになってきて。そうすると自分の中の感情や思考が異物のように違和感として感じるようになり始めたんですね。
そういう感覚を体験してしまうと、里の行ってつらいな、山に籠りたい、というような感覚も少し生まれてきます。
快適な状況を経験してしまったからこそ起きる感情、ですね。脱サラして田舎暮らしをする人などもある意味こういう感覚なのではないでしょうか。
最近は、大型量販店で周囲の人たちの感情や思念が大量に自分に流れ込みすぎて目眩とふらつきで立っていられなくなりそうな経験をしました。
これほどのダメージで体験したのは久々の感覚でしたから、ほとほと自分が人間でいることに嫌気がさしましたが、あそこまで酷いのは今のところあれ一度きりでした。
体はとてもつらかったですが、私の場合極端な程の経験は必ず次の糧になるとわかっているので、この経験も無駄ではなかったと思っています。
この経験から、本当に自分の領域に人のエネルギーが入ってくることがどんなに自分に影響やダメージを与えているかが改めてよくわかったので、この記事を書くきっかけになりました。
日頃、自分が考えて冷静に判断して行動しているつもりでも、それは「自分」ではないエネルギーで決めたことかもしれない。
思考や感情を観察してみると途切れる瞬間があるのがわかりますし、突然悲しくなったり突然怒りのスイッチが入ることもあったりして、脈絡がない時もあるのもわかるはずです。
観察者の視点で自分を見る
迷った時はハートで決める
頭で考えるのではなくハートで感じる
自分の思考や感情や肉体を、自分だと思うと見事に濃密な三次元地球ゲームの渦にはまってしまうような気がします。
それを知ったうえで、自分は何を選択するかが常に問われている気がします。
人それぞれクリアリングのやり方に好みや向き不向きもあるでしょうから、自分の好きなやり方でクリアリングを試みつつ、周波数を上げていくことを意識してみると、そういったスパイラルから抜け出すきっかけになるかもしれません。
エネルギーのクリアリング。
肉体のクリアリング。
エネルギー的にも身体的にもクリアリングのきっかけになったのは、レイキでした。
負のスパイラルから少しずつ浮上するきっかけになったと思っています。
そして常に山に身を置くわけにもいきませんから、日常の自己メンテナンスにはかなり有効なのがレイキです。
レイキはどなたでもできます。不思議な力は必要ありません。
やってみたい、ワクワクする、などレイキを使ってみたいと思う気持ちがあれば十分です。一家に一人でもレイキを使える人がいるだけで可能性は広がります。
あと少し、次の記事に続きます。
ハナモモ
先日の渓流歩きの日は、ちょうどハナモモが満開の見頃を迎えていて、辺り一面がとても素晴らしい景色でした。
知らずに行って満開のハナモモに圧倒される。絶好のタイミング。
このタイミングで行く選択をしたのはハートの感覚に従ったからですが、そういった感覚に従って◎という祝福にも感じます。
【HP】
ウスイレイキセミナー(伝授) ① | rainbow earth garden ~光の庭~